押しの哲学
(秋のグループラン弘西林道を抜けて)
                阿部桂三(3)
 

「押しは敗北ではない」という言葉を過去の銀輪で見たことがある。

私はこの言葉が非常に好きである。
決して勝者とは言えないけれども敗者ではないのである。

以後、この言葉をふまえて文章を読んでいただきたい。

 10月9日、ミッドナイトで出発してから10月11日までのことは1年目、2年目が書いてくれると思うので、私は12日にしぼって書こうと思う。
 
 

 10月12日 天候 雨・雪 
 昨日の夜から田中は吐き続けていた。
朝食を作っている時もである。
少し心配したが、私たちは何も手の出しようがなかった。
AM3:00に起きたのはできる限り早く林道に入ろうとしたためである。
飯ができても田中は吐いていた。
ごく少量の飯を無理矢理腹の中に押し込み出発準備をした。
何だかんだで出発はAM6:00になっていた。
通行禁止のため、ゲートが閉ざされていたので、横のすきまから入った。
最初は快適な舗装路が続いた。
だが20分もするとダートとなる。
はじめの急坂で藤井さんは私たちをぶっちぎっていった。
そして内田さんはとある理由のため、オーラスになっていただいた。
それから30分、坂道との戦いに入った。
かなり斜度はきつかったが、なかなか走りやすいダートであった。
景色が一望できる所で、山の頂上付近が白いことに気がついた。
「もしかして雪じゃないか。
」、心の中に一瞬の不安がよぎった。
案の定、10分もしないうちに雪道となった。
だが、押すほどの雪ではなく、乗って一つ目の峠、『一つ森峠』に着いた。
何枚か写真を撮って下った。
ここでもう少し考えておけば良かった、と後で後悔することになる。

 
下り終え、橋を渡り、再び上り坂となる。
この時点で標高は300mであった。
次に目指す『天狗峠』は、834mである。
前の『一つ森峠』が667mだったので、それよりも200m弱標高が高い。
登り始めてから20分もしないうちに路面に雪が積もり始めていた。
「ひょっとしたら雪押しかも・・・」、この予感は的中して、雪押しをしなければならない状況になった。
路面には10cmを越える雪が積もっていた。
私は杉本と田中と一緒に押し続けていた。
田中は空腹以外は酒も抜けて絶好調の様子であったが、杉本は『一つ森峠』の下りで転倒したため、足の付け根をいためて苦しい表情をしていた。
しばらくして、先頭を走っていた藤井さんと吉野が止まっていた。
とても景色がきれいだから、写真を撮ろうということだった。
その景色はまさに絶景であった。
紅葉と雪のコントラストが見事であった。
標高600m位を境にして、それより上は雪で真っ白、それより下は紅葉で真っ赤。
私はブナの紅葉がきれいだという理由で1年目と2年目を無理矢理連れてきた。
この瞬間、私の心は一時であったが満たされた。
私の言葉が嘘にならなくて済んだ安心感からであった。
写真を撮り、その後はまた雪との格闘となる。
田中は朝の時とは対称的に好調さを示した。
だが杉本は、足の痛みから思うように歩けずに苦しんでいた。
後ろからその姿を見ていて私は、心が痛くなった。
確かに前もって弘西林道はきついことを知らせていたものの、雪押しすることは当然言っていなかった。
これはまた、私の明らかな判断ミスから招いたものでもあった。
『一つ森峠』でも雪は積もっていた。
だが何も考えず『天狗峠』を登らせた。
安全対策上私は重大な過失を犯してしまった。
だから杉本のその姿が私にとってつらかった。
いつもの朗らかな表情は消え失せ、彼は痛みと寒さと戦っている。
私は無力さとふがいなさを痛感した。
私ができることと言えば、後ろから声を掛けてあげることだけだった。
杉本は最初のうちはその声に反応していたが、時間が経つにつれ、反応しなくなっていた。
やがてピークが見え、、藤井さんと吉野の姿が見えた。
寒さの中、どの位私たちを待っていたのだろうか。
ピークでは営林署のおじさんと話をし、写真を撮って下った。
今まで通り、藤井さんと吉野は先頭を走って(押して)いた。
田中と杉本は私と一緒であった。
杉本は下りに入って足の痛みも和らいだのか私と田中を置いて下っていった。
田中は下りに入って手がかじかんでブレーキレバーを握れないらしく、押さざるを得ない様子であった。
田中はその状態が限界にきたらしく、やむをえずストップを掛けた。
そして軍手より厚い手袋を出そうとサイドのザックに手を掛けた。
だが手の感覚が彼にはほとんどなく、うまく開けられずにいた。
その悔しさからサイドのザックを手でたたきつけた。
そして私に助けを求めた。
ザックが開き、手袋を出したが、それもびしょ濡れのため、ザックの中に入れた。
また走り始めたが、彼は寒さに異常に弱いため、何度も止まった。
彼の怒りは私にもよく分かった。
だが私にはどうしようもなかった。
下っていくと雪もなくなり、自転車にも乗れ、下では藤井さんと吉野、杉本が休憩していた。
その後内田さんが軽トラに乗って現れ、最後の峠『津軽峠』を登っていった。
この峠には雪がなく、途中では寒さにうち震えながら昼食を取り、かなり簡単に登り切った。
そして無事に弘西林道(白神ライン)を抜けることができた。

 私はこのランに関して、安全対策上非常に問題があった事を認める。
だが1年目・2年目にはとてもいい経験をさせることができたとも思っている。
多分彼らはこんなひどいランを経験したことは過去にないだろう。
これからクラブランや個人ラン、ツアーなどをしていく上で、「あのランに比べたら大したことない」という気持ちになってくれれば幸いである。
また自信にもなってくれたのではないだろうか。
このランを通じて彼らが全国各地の林道、山道、峠に盛んにアタックして、立派なサイクリストに成長してもらいたい。
舗装路だけではサイクリングの可能性を非常に狭めてしまう。
ダートを走ることがどんなに楽しく、感動的なものか分かってくれたのではないだろうか。
そしていつか雪押しを一人でやって欲しい。
頼るものが自分しかない状況で・・・。
必ず何か他にはないものを得るはずである。
そのことが自分に自信をもたらし、将来において確実に有用なものとなるであろう。

 
 最後にこのランに参加していただいた、藤井さん、内田さん、吉野、杉本、田中に感謝を申し上げます。現役最後のグループランがこんなに楽しく、有意義に終えることができたのは皆様のおかげです。
                          

おしまい